♪音楽散歩道。。。
出会った音楽、気になった音楽の日記のようなもの思いついた時に書いているので、時代錯誤します。主観が多いので間違った情報もあると思うので情報収集にはならないでしょう。お見逃しを〜〜〜 〜♪試聴・YouTube動画などでなるべく曲が聴けるようにしていきます。♪〜
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君への応援のうた(仮) /島田 洋美
特別編です。
このブログに登場させるのはどうしようか、と迷いましたが、私の音楽散歩道の道のりの中で今後とも何度でも立ち寄ることであろう思い出の曲ということで、今回だけ特別に自作の曲を登場させることにします。
3月に私の人生の中でとても心の支えだった方が亡くなりました。
市村 均さんといいます。今年70歳(?)だったかな?
この事を記事にすること自体がきっと喜ぶ事だと思うので書くことにしました。
とても不思議な関係で、たぶん親族に近い感覚、長い年月考えて一番しっくりきたのは、私にとってはきっと年の離れた”お兄ちゃん”的な存在だったと思います。
私が21歳で生活がとても苦しい頃、アルバイト先で出会い、その後ずっとお付き合いをさせていただきました。
出会った頃は、説教したり、昔話が多かったり、私にとっては面倒くさいくらいの典型的な普通のおじさんだったのだけど、とにかく明るくて多少のことでは滅多にめげない。
私と同世代の他の仲間達はどう思っていたかわかりませんが、私は「うっとうしいなぁ、あのおじさん」
なんてちょっと思っていた様な気がします。
そんな時、私はとうとう言ってしまいました。
「市村さん、また同じ話をしてるよ。この話何度も聞いたよ。続きに行ってくれない?」
その日以降、急に無口になってしまった。
「どうしたんですか?」と聞くと、
「この話、もう話したかな?と立ち止まって考えてるうちに、何もしゃべれなくなってきたんだよ」と。
びっくりしました。私のキツい一言をまともに素直に受け止めていたなんて。
その後は、若い人だろうが、年配の方だろうが、良いと思うことは自分に取り入れ、自分の良くない部分を素直に反省したりもするので、どんどん変貌していったのです。
あれから20年。
実年齢よりずいぶん若く見られました。
市村さんの周りには年齢問わずたくさんの仲間がいて
いつも「今の幸せは島田さんのお陰です」と私に感謝の言葉を言ってくれるのです。
この20年の間には数年会わなかった時もあり、ここ10年くらいは電話やメールはしていたけど会ったのは年に数回程。
それでも全く疎遠になった感覚は無く、今後も疎遠になるとはとても思えない不思議な感覚。
不思議な縁もいくつかありました。
当事、埼玉県の大宮に住んでいましたが、記憶が曖昧ですが、すぐ近くに、知り合い?か、親族?かがいて何度かあったことがあります。
また市村さんが住んでいる東京の小岩は、私の実家の街。
今住んでいる茨城県つくば市(前は稲敷郡だった)は市村さんの生まれ故郷。
その他にも、何点か偶然があり、不思議な縁でした。
そして何より、絶対的な私の理解者でありました。
私がその時その時、何に一生懸命になっていて、何に心悩ましているのかをよく理解してくれていました。
そして
「私は、島田さんの応援団長ですから!」と、
いつも明るい笑顔で励ましてくれていたのです。
市村さんは私だけでなく、本当にたくさんの人の応援団長になっていました。
凄いな、このパワーは、と良く言っていたのですが、
「私は今までにいろんな人に助けられたりパワーをもらったりしているから、自分もいろいろな人に与えるんだ」と言っていました。
こういう大人に私もなりたいと思います。
なんの恩返しもまだしていないのにこんな事になってしまい、私は市村さんの励みになってもらいたい一心でこの曲を作りました。
病院で聴いていても、昔を思い出しすぎて辛くならないように、今が幸せだと感じられるように、たくさんの人の愛が感じられる様に、寂しくなりませんように、という気持ちを込めて作ったのです。
曲名は市村さんにつけてもらおうと思っていたのですが、それはとうとう叶いませんでした。
思い出がありすぎて、今は私はちょっとまともには歌えそうにもありません。
まだまだふっとした時に止まらないほどの涙が出てきてしまうのです。
きっと、もっと実感してくるのはこれからなんでしょうね。
事あるごとに冗談で「私が死ぬときは棺桶の中に桜の花びらをたくさん入れてもらいたいね」
と話していた市村さん。
今年の桜を見れたかどうかはわからないけど、念願の季節でよかったね。
とても明るい方だったので、今頃はもうすでにあの世でも早速いろんな人(?)に会い楽しくやってんだろうな、と思いますが、この世に残された方はしばらく辛さが続くんですよね。。。
いつかまた会える時がきっと来ると思うので、その時まで私一生懸命がんばります。
この曲のアレンジはこれからです。未完成なので聴き苦しいと思います。
音源もとりあえずなもの使っているのですが、何れ、ちゃんとした(?)ストリングス群に変更するつもりだし、歌ってくださる方が見つかったら、歌とコーラスを主としたアレンジにしたいので、今は取りあえず雰囲気だけ入れてみた、というところです。
なので、音量バランスや若干無理な和音があり即興的に打ち込んだそのままの状態ですが、仕事の片手間にやっているので、ちゃんと仕上がるには相当先になりそうです。
未完成ですが、この状態で一度UPしておこうと思いました。
君への応援のうた(仮)
作詞・作曲・編曲 島田 洋美
1 行くあてもない 電車に乗り
ぼんやりと 窓の外 見てると
急に 飛び乗り込んできた君 そんな出会いをした僕たち
住み慣れた街 この東京の
景色は 風のような速さで
消えてしまうけれど 本当は 思い出 たくさんあるんだ
君の勇気は 僕たちのあこがれ
笑顔の奥の強さを
いくつもの奇跡を 見せてくれたね
だから僕たちは 本気で夢を信じられた
※ これは 僕たちからの 君への応援の歌
忘れないでいて 君を愛する人が この世にたくさん いること
2 「ボクはいつでも 幸せだよ」と
どんな時も 笑顔でいるよね
そこには 一人ぼっちで戦う 孤独も きっとあったことでしょう
たとえ 喧嘩をしても 会えない月日が流れても
必ずまた 会えるのさ
この世に 君の代わりはいないこと 僕たちは 知っているから
胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも見えてくる あの時
君の想いは 僕たちの願いとなり
強くなるよ 永遠に輝き続ける
これは 私からの 君への贈りもの
どんな時でも そばにいてくれたね これからもずっと 一緒に
☆ 胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも蘇るよ あの頃
時は過ぎゆくけど 確かな今日を感じるため
今この一瞬(とき)を 大切に生きてみるんだ
※ 繰り返し
★ 君の笑顔を いつまでも 守れますように
神様 お願いします
- END -
今年の桜の写真(携帯カメラ(^^;))を撮ろうと仕事の合間にちょこちょこ歩き回りましたが、最後の方は葉桜に。。。
桜前線は思いのほか速かった。
また来年、再来年と、思い出の場所の桜をねらってみようと思います。
このブログに登場させるのはどうしようか、と迷いましたが、私の音楽散歩道の道のりの中で今後とも何度でも立ち寄ることであろう思い出の曲ということで、今回だけ特別に自作の曲を登場させることにします。
3月に私の人生の中でとても心の支えだった方が亡くなりました。
市村 均さんといいます。今年70歳(?)だったかな?
この事を記事にすること自体がきっと喜ぶ事だと思うので書くことにしました。
とても不思議な関係で、たぶん親族に近い感覚、長い年月考えて一番しっくりきたのは、私にとってはきっと年の離れた”お兄ちゃん”的な存在だったと思います。
私が21歳で生活がとても苦しい頃、アルバイト先で出会い、その後ずっとお付き合いをさせていただきました。
出会った頃は、説教したり、昔話が多かったり、私にとっては面倒くさいくらいの典型的な普通のおじさんだったのだけど、とにかく明るくて多少のことでは滅多にめげない。
私と同世代の他の仲間達はどう思っていたかわかりませんが、私は「うっとうしいなぁ、あのおじさん」
なんてちょっと思っていた様な気がします。
そんな時、私はとうとう言ってしまいました。
「市村さん、また同じ話をしてるよ。この話何度も聞いたよ。続きに行ってくれない?」
その日以降、急に無口になってしまった。
「どうしたんですか?」と聞くと、
「この話、もう話したかな?と立ち止まって考えてるうちに、何もしゃべれなくなってきたんだよ」と。
びっくりしました。私のキツい一言をまともに素直に受け止めていたなんて。
その後は、若い人だろうが、年配の方だろうが、良いと思うことは自分に取り入れ、自分の良くない部分を素直に反省したりもするので、どんどん変貌していったのです。
あれから20年。
実年齢よりずいぶん若く見られました。
市村さんの周りには年齢問わずたくさんの仲間がいて
いつも「今の幸せは島田さんのお陰です」と私に感謝の言葉を言ってくれるのです。
この20年の間には数年会わなかった時もあり、ここ10年くらいは電話やメールはしていたけど会ったのは年に数回程。
それでも全く疎遠になった感覚は無く、今後も疎遠になるとはとても思えない不思議な感覚。
不思議な縁もいくつかありました。
当事、埼玉県の大宮に住んでいましたが、記憶が曖昧ですが、すぐ近くに、知り合い?か、親族?かがいて何度かあったことがあります。
また市村さんが住んでいる東京の小岩は、私の実家の街。
今住んでいる茨城県つくば市(前は稲敷郡だった)は市村さんの生まれ故郷。
その他にも、何点か偶然があり、不思議な縁でした。
そして何より、絶対的な私の理解者でありました。
私がその時その時、何に一生懸命になっていて、何に心悩ましているのかをよく理解してくれていました。
そして
「私は、島田さんの応援団長ですから!」と、
いつも明るい笑顔で励ましてくれていたのです。
市村さんは私だけでなく、本当にたくさんの人の応援団長になっていました。
凄いな、このパワーは、と良く言っていたのですが、
「私は今までにいろんな人に助けられたりパワーをもらったりしているから、自分もいろいろな人に与えるんだ」と言っていました。
こういう大人に私もなりたいと思います。
なんの恩返しもまだしていないのにこんな事になってしまい、私は市村さんの励みになってもらいたい一心でこの曲を作りました。
病院で聴いていても、昔を思い出しすぎて辛くならないように、今が幸せだと感じられるように、たくさんの人の愛が感じられる様に、寂しくなりませんように、という気持ちを込めて作ったのです。
曲名は市村さんにつけてもらおうと思っていたのですが、それはとうとう叶いませんでした。
思い出がありすぎて、今は私はちょっとまともには歌えそうにもありません。
まだまだふっとした時に止まらないほどの涙が出てきてしまうのです。
きっと、もっと実感してくるのはこれからなんでしょうね。
事あるごとに冗談で「私が死ぬときは棺桶の中に桜の花びらをたくさん入れてもらいたいね」
と話していた市村さん。
今年の桜を見れたかどうかはわからないけど、念願の季節でよかったね。
とても明るい方だったので、今頃はもうすでにあの世でも早速いろんな人(?)に会い楽しくやってんだろうな、と思いますが、この世に残された方はしばらく辛さが続くんですよね。。。
いつかまた会える時がきっと来ると思うので、その時まで私一生懸命がんばります。
この曲のアレンジはこれからです。未完成なので聴き苦しいと思います。
音源もとりあえずなもの使っているのですが、何れ、ちゃんとした(?)ストリングス群に変更するつもりだし、歌ってくださる方が見つかったら、歌とコーラスを主としたアレンジにしたいので、今は取りあえず雰囲気だけ入れてみた、というところです。
なので、音量バランスや若干無理な和音があり即興的に打ち込んだそのままの状態ですが、仕事の片手間にやっているので、ちゃんと仕上がるには相当先になりそうです。
未完成ですが、この状態で一度UPしておこうと思いました。
君への応援のうた(仮)
作詞・作曲・編曲 島田 洋美
1 行くあてもない 電車に乗り
ぼんやりと 窓の外 見てると
急に 飛び乗り込んできた君 そんな出会いをした僕たち
住み慣れた街 この東京の
景色は 風のような速さで
消えてしまうけれど 本当は 思い出 たくさんあるんだ
君の勇気は 僕たちのあこがれ
笑顔の奥の強さを
いくつもの奇跡を 見せてくれたね
だから僕たちは 本気で夢を信じられた
※ これは 僕たちからの 君への応援の歌
忘れないでいて 君を愛する人が この世にたくさん いること
2 「ボクはいつでも 幸せだよ」と
どんな時も 笑顔でいるよね
そこには 一人ぼっちで戦う 孤独も きっとあったことでしょう
たとえ 喧嘩をしても 会えない月日が流れても
必ずまた 会えるのさ
この世に 君の代わりはいないこと 僕たちは 知っているから
胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも見えてくる あの時
君の想いは 僕たちの願いとなり
強くなるよ 永遠に輝き続ける
これは 私からの 君への贈りもの
どんな時でも そばにいてくれたね これからもずっと 一緒に
☆ 胸に手をあて 目を閉じれば
いつでも蘇るよ あの頃
時は過ぎゆくけど 確かな今日を感じるため
今この一瞬(とき)を 大切に生きてみるんだ
※ 繰り返し
★ 君の笑顔を いつまでも 守れますように
神様 お願いします
- END -
今年の桜の写真(携帯カメラ(^^;))を撮ろうと仕事の合間にちょこちょこ歩き回りましたが、最後の方は葉桜に。。。
桜前線は思いのほか速かった。
また来年、再来年と、思い出の場所の桜をねらってみようと思います。
映画「ダンシングヒーロー」サントラの中の「スコット&フランズ・パソ・ドブル」
1992年の時の映画ですが、映画館に観に行きました。
大ヒット作というわけではないのですが、私の中では大ヒット作♪
社交ダンス界のお話で、コンクールに斬新寄進な挑戦をしてしまう、というものなのですが、冷静になれば斬新というわけではなく、ただ単に社交ダンスのコンク−ルにフラメンコを持ってきてしまう、というだけの話なんだけど、映画が進むにつれ知らないうちに一気に舞台がフラメンコの世界に突入してくる辺りなんかはユーモアじゃないのに面白い。でもフラメンコがかっこ良くて惹き込まれてしまいました。
パソドブレ以外でも、ルンバやチャチャやオーソドックスなラテン音楽がふんだんに使われているので、音楽も良かった。
映画の中で使われているシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」もいい感じに使われています。
とてもロマンチック♪
今でこそラテン音楽のいろいろな曲を聴いたり弾いたり勉強したりしてきているわけなのだけど、有名な曲もたくさんあるのだけど、何故かとっても心が興奮するこの「スコット&フランズ・パソ・ドブル 」。
もちろん、この手の曲に楽譜など無いだろうから(初めから探してない)、完全耳コピして一人で堪能してました。
この曲の影響は大きく、以降の私の手がける曲々にはいろいろところでこのエッセンスが組み込まれ始めました。
そんな曲です。
人はどんな曲が心の中の永久的な住人になるかわからないものですね〜
ダンスが好きな私はもちろんフラメンコを習いたい!と思いましたが、1992年頃は、とてもとてもまだ習い事をする様な安定した生活ではなかった為できませんでした。
その後も何度かチャンスは来たのだが、何故だかその時その時のタイミングが合わなく結局習うことはまだ無く今日まで来てしまっているのがちょっぴり残念。。。
YouTube動画
映画のラストシーン。
「スコット&フランズ・パソ・ドブル 」
はるかぜ /doa

はるかぜ
doa HPにて視聴できます
春の好きな曲第?弾?・・・
この曲がリリースされた頃、あるファンシーショップで筆箱見てたんだけど(何の関連性も無いハナシ(^^))、
この曲が流れてきて、1曲聴き終わる頃には涙ぼろぼろ・・・
すごく恥ずかしくて立ち去りたかったのだけど、最後まで聴きたくて、筆箱見ながら肩ヒクヒクしてた。
以後、この曲は何なのか探すのだけど、声が「福山雅治」なので、何の疑いも無く”福山 今回いい曲書いたな〜・・”なんて思いながら探し始めたんだけど、
無い。
結局見つけるまでちょっと時間かかりました。
曲名がわからないからね〜
でも、たぶん”ハルカゼ”なんだろうとは思ったんだけど、”ひらがな”だったとは・・・
そしてもう一つ恥ずかしかったのが!
この曲は、作曲・編曲家の「徳永暁人」さんの作品ではありませんか!
この歌声も。。
私としたことが・・お恥ずかしい・・・
本当に失礼いたしましたm(_ _)m
いいな〜・・この曲。
たぶんこの手の曲ばかり心動かされるのは、春にこういう想い出があるからなんだろうね。。。
先に書いた、いきものがかりの「Sakura」にしてもこの曲にしても、私はドンぴしゃりな思い出があるわけなので”あ〜いい曲だ”って感情をかき回されるほどの感動があるのだけれど、ぴったりの思い出がない人が聞いた場合ってどうなんだろう?
と思うことがあります。
それ程印象には残っていかないのか、それともやっぱり心に染みるのか。。。
聴く人を選ばない曲ってスゴイなとおもいますネ♪
それにしても、
あ〜せつない。
YouTube動画
チュニジアの夜 /アート・ブレイキー・アンド・ジャズメッセンジャーズ
視聴できます
ジャズとアフロキューバンをミックスさせたとても心躍るナンバーです♪
この曲は、1940年前半に”ふうせんほっぺた(ごめんなさい!)”トランペット奏者のディジー・ガレスピ−作曲のもの。
とても有名な曲なのでたくさんの方が演奏してますネ♪
私はそんなたくさんの中から好きな演奏は「アート・ブレイキー・アンド・ジャズメッセンジャーズ」。
というより、「アート・ブレーキー」好きなのかな。ジャズドラマーです。
期待感溢れるドラムソロから始まり、ゆっくりとトランペットの例の有名なテーマが入ってくる感じが、たまらなく格好よいのです!
ブレイク後のアドリブも曲の終盤あたりも興奮します。
今回は『チュニジアの夜』にスポットをあてましたが、「アート・ブレイキー」「ディジー・ガレスピー」個人としての記事は何れ書こうと思います。いつになることやら(^^;)
ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」も。
ジャズとアフロキューバンをミックスさせたとても心躍るナンバーです♪
この曲は、1940年前半に”ふうせんほっぺた(ごめんなさい!)”トランペット奏者のディジー・ガレスピ−作曲のもの。
とても有名な曲なのでたくさんの方が演奏してますネ♪
私はそんなたくさんの中から好きな演奏は「アート・ブレイキー・アンド・ジャズメッセンジャーズ」。
というより、「アート・ブレーキー」好きなのかな。ジャズドラマーです。
期待感溢れるドラムソロから始まり、ゆっくりとトランペットの例の有名なテーマが入ってくる感じが、たまらなく格好よいのです!
ブレイク後のアドリブも曲の終盤あたりも興奮します。
今回は『チュニジアの夜』にスポットをあてましたが、「アート・ブレイキー」「ディジー・ガレスピー」個人としての記事は何れ書こうと思います。いつになることやら(^^;)
ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」も。
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